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東京地方裁判所 平成9年(ヨ)466号 決定 1998年1月23日

債権者

明石秀

外六三〇名

右代理人弁護士

大西英敏

加園多大

市原健司

菅野庄一

債務者

新橋商事株式会社

右代表者代表取締役

井手義裕

債務者

株式会社サテライトジャパン

右代表者代表取締役

千葉孝弘

右両名代理人弁護士

清水正英

酒井清夫

主文

一  本件申立てをいずれも却下する。

二  申立費用は債権者らの負担とする。

理由

第一  申立ての趣旨

一  債務者新橋商事株式会社は、別紙物件目録記載の各土地上に仮称新橋競輪場の場外車券売場を建設してはならない。

二  債務者株式会社サテライトジャパンは、右建設予定建物において競輪の投票券の場外車券売場の経営並びに右投票権の場外発売の受託をしてはならない。

第二  事案の概要

一  事案の骨子

本件は、債務者新橋商事株式会社が建築主となって別紙物件目録記載の各土地上で進めている申立ての趣旨一の建物(以下「本件建物」という)の建設に関して、その近辺の居住者等である債権者らが、本件建物内に債務者株式会社サテライトジャパンが設置する予定の競輪場外車券売場(以下「本件場外車券売場」という)により生活環境及び教育環境が悪化しあるいはこれが破壊され、回復不可能な損害を被るおそれがあると主張して、人格権及びいわゆる環境権を根拠に、妨害排除(予防)請求として、債務者新橋商事株式会社に対し本件建物の建設禁止を、債務者株式会社サテライトジャパンに対し本件場外車券売場の経営等の禁止を、それぞれ仮に求めた事案である。

二  主要な争点

1  債権者らは、被保全権利に関して、本件場外車券売場の建設、設置等により、生活環境の悪化、破壊(交通渋滞の悪化や違法駐車の増加が生じて排気ガスや騒音の増加、救急車等の通行阻害や交通事故の増加等の甚大な被害をもたらす。来場者の徘徊により、ゴミの散乱等が生じて風紀や衛生が害され、また犯罪行為が多発する)や教育環境の悪化、破壊(ギャンブル場の存在、犯罪の多発等が近隣の青少年に大きな影響を与える)が社会生活上受忍すべき限度(受忍限度)を超えて生じて、債権者らの人格権及びいわゆる環境権が侵害されると主張している。

2  ところで、債権者らは、右のとおり、被保全権利の根拠の一つとして、人格権のほか、いわゆる環境権を援用している。その具体的内容は、良好な生活環境を享受し、、かつ、これを支配しうる権利ということになると思われるが、このような抽象的内容にとどまる限り、環境権は、実体法規上の根拠を欠くのみならず、その要件、効果等が明確でないなど権利性が未熟であって、現段階においては、少なくとも、他人の行為の排除(差止め)を求める権原となりうるような法的権利として確立したものと認めることはできない。

次に、債権者らは、環境権のほか、人格権をも差止めの根拠として援用しているところ、人格権については、その内容である生命、身体、自由等の重大な人格的利益が侵害され、、または侵害される切迫した危険性がある場合には、その排除(予防)を求めうることが一般に承認されているところである。したがって、人体に有害な物質を排出する可能性のある施設に限らず、たとえば本件のように一種の遊興に用いられる施設の建設、設置等に関しても、右施設の運営がその周辺で生活している者らの環境に激的な変化を生じさせ、ひいてはそれらの者の生命、身体、自由を侵害し、又はこれらに比肩しうるような重大かつ明確な人格的利益(たとえば、特段の危険や危害のおそれなく平穏に屋外を通行し、同様にして平穏に生計のための営業を行い、あるいは屋内で十分な休養や睡眠をとるなどの平穏かつ快適な日常生活を享受する利益)に対して具体的で切迫した侵害をもたらすものであれば、人格権に対する侵害として、その排除ないし予防のために差止めを認めることも可能であると思われる。そこで、以下、債権者らが本件被保全権利の具体的内容として主張する良好な生活(交通、風紀、衛生)環境を享受する権利、営業のための良好な環境を享受する権利、良好な教育環境を享受する権利等に関する主張についても、それらを基礎付ける右のような具体的な人格的利益を主張するものと理解した上で検討を進めることにする。

3 以上によれば、本件の主要な争点は、本件建物の建設、本件場外車券売場の設置運営により、債権者らの生命、身体、自由又はこれらに比肩しうるような重大かつ明確な人格的利益が侵害されるような事態が生じうるか否かということになる。

第三 争点についての判断

一 右争点についての判断は、まず、債権者らに生じる被害の内容及び程度を検討した上、これに、本件場外車券売場の設置運営の公共性、本件建物建設予定地周辺の地域性、本件場外車券売場の設置許可にまつわる諸事情等の事情を総合し、債権者らに生じる被害が受忍限度を超えるものか否かを考察して行うべきものと考えられる。以下、順次検討する。

二  債権者らに生じる被害の内容及び程度について

1  まず、債権者らに生じる被害の内容及び程度についてみるが、債権者らの主張するような環境の悪化ないし破壊の可能性の認定にあたっては、本件場外車券売場への来場者数をどのように予測できるか、周辺地域の生活環境悪化のおそれに対する債務者らの対応策に実効性があるか、本件建物へのアクセスのためにどのような交通手段が存在するか等の点が判断のための重要な前提となるので、最初にこれらの事情について検討することとする。

(一) 本件場外車券売場への予測来場者数について

(1) これを推認する前提として、本件建物及び本件場外車券売場の概要についてみると、本件記録中の疎明及び審尋の全趣旨によれば、以下の事実を一応認めることができる(本項以降で各認定事実の末尾に番号を付した疎明は、当該部分の認定に特に関係が深いものである)。

ア 本件建物及び本件場外車券売場の設備の概要

本件建物は、敷地面積568.74平方メートル(約172坪)、延べ床面積6125.93平方メートル(約1856坪)の地下二階地上一一階建て建物であり、本件場外車券売場は、このうち地上一階の一部及び地上二階から一一階までを使用して設置され、来場者は投票券(車券)を購入し、その払戻しを受けるほか、同時中継される競輪の模様をマルチビジョンあるいはモニター画面により観戦することができる。

本件場外車券売場の来場者が利用する主なスペースとしては、二階から七階までにそれぞれ設けられる投票所(二階から七階までの延べ床面積は2787.36平方メートルであり、来場者が滞留できる客溜り部分は、このうちおよそ三割程度である)のほか、八階及び九階に設けられる特別閲覧席、さらに一一階に設けられるVIP特別席(八階、九階及び一一階の延べ床面積1404.69平方メートルのうち、客溜り部分がおよそ三割程度であることは投票所と同様であり、この中に八階及び九階については各八〇席の、一一階については四〇席の固定席がそれぞれ設けられる)がある。これらのスペースにおける収容人数は、防災計画書上の避難対象人数でみると、一二四七名である。

(乙五二の1、2、六七、七八)

イ 本件場外車券売場の運営形態

競輪の場外車券売場は、自転車競技法四条、同法施行規則四条の二、三等に基づいて設置が認められているものであり、平成九年二月現在で全国に二一か所設置されているが、いずれも各場外車券売場を訪れた不特定多数の者が入場して車券を購入することができるものとなっているのに対し、本件場外車券売場は、競輪の場外車券売場としては初めて登録会員制をとることが予定されているものである。すなわち、本件場外車券売場では、まず会員(年会費も設定される)を公募して当初会員数を一万人とし、会員登録された者に対して会員証を発行した上で、来場を希望する会員に対して事前に当該希望日の来場を予約させるシステムをとる。そして、予約された者のみが入場できることとするとともに、入退場者数を随時把握することができるシステムとするため、入場口のゲート等、これを可能とする設備、機器を導入する。さらに、一日あたりの入場者数の上限を約二五〇〇名とするため、一日あたりの予約受付数を二五〇〇名にキャンセル予定数を加えたものとし、前日までの予約受付数が二五〇〇名に達しない場合にのみ、そしてその不足数についてのみ当日予約を受け付ける(一一階のVIP特別席については、指定席制をとり、前記認定の固定席数についてのみ予約を受け付ける)。

営業は、競輪開催日(年間約二〇〇日)の午前一〇時から午後五時までを予定している。

(甲七、二一、乙二二の1、2、二九、三七、五四、六一の1、2、七八、七九、八四、八九、九〇)

(2) 右(1)で認定した本件建物及び本件場外車券売場の概要を前提として、本件場外車券売場への来場者数について検討する。

もしも本件場外車券売場が既存の他の場外車券売場のように広く一般に開放されたものであれば、その来場者数を予測することは困難であり、多数の者が押し寄せて周辺の環境が極端に悪化するといった可能性を否定することはできないであろう。しかし、右(1)で認定したところによれば、本件場外車券売場は、登録会員制を採用した上で予約会員以外の者は入場できないシステムをとるものであって、その予約人数も、現時点においては、一日あたり二五〇〇名にキャンセル予定数を加えたものとした上、前日までの予約受付数が二五〇〇名に達しない場合にのみ、そしてその不足数についてのみ当日予約を受け付けることになっており(もとより、この点は債務者株式会社サテライトジャパンの計画に過ぎず、その実施は同債務者の意思如何にかかっていることであるが、こうした運営形態をとることについては債務者らが本件申立て手続内で繰り返し言明していて、後記のとおり一日あたり入場者数を限定する和解も可能である旨述べているところであり、また、右システムについては部外に委託する等して既に相当程度具体化されているところであって、、現時点で特にその言明の信用性を否定すべき事情は見当たらない)、本件建物及び本件場外車券売場の構造も、このような目的を達成することの可能な規模及び設備をもったものと評しうるから、この予約人数を大幅に超える数の者が来場するとは考え難い。

この点につき、審尋の全趣旨によると、本件場外車券売場への来場者数を予測する際の不確定要素として債権者らを含む近隣住民が危惧している主要な問題点としては、①二五〇〇名に上乗せして加えられるキャンセル予定数が確定していないことのほか、②車券の購入や本件場外車券売場への入場を目的としないで来場する者(すなわち、ノミ行為を行うことを目的としたり、正規の会員を通じて投票券を購入することを目的として本件場外車券売場付近に来場する者)、③キャンセル枠の当日予約を希望して来場する者、④登録会員制であることを知らずに来場する者がそれぞれいないとは断定できないこと、にあるようである。しかし、①については、債務者らの言明(審尋の全趣旨)によれば数か月の調査結果を経て一日あたりのキャンセル割合を査定した上で実施し、また右割合はその後も逐次調査し修正してゆくというのであるから、現段階では不確定であっても、債務者株式会社サテライトジャパンが右調査を誠実に行う限り、開場後はかなり正確に予測できるはずのものである。次に、②についても、正規の入場者数や後に認定する犯罪対策にかんがみると、現段階でこのような者が大量に本件場外車券売場付近に集まる可能性が高いと予測することは困難である。また、③については、前日までに予約をすれば足りることであり、入場可能かどうかが不明な状況で多数の会員がこのような形で来場するとは考え難い。④についても、本件場外車券売場が登録会員制をとることは競輪に興味を持っている人々には容易に周知されるであろうから、このような者が恒常的に多数来場するとは考え難い。

(3) そうすると、本件場外車券売場への来場者数は、前記認定の予約受付システムが採用される限り、一日あたり約二五〇〇名程度に限定されるであろうと一応認めることができる。そして、他にこれを大幅に上回るような来場者数が生じることを認めるに足りる的確な疎明はない。

(二) 債務者株式会社サテライトジャパンの対応策の実効性について

(1) 本件記録中の疎明及び審尋の全趣旨によれば、債権者らの主張するような環境の悪化を防止するために債務者株式会社サテライトジャパンが予定している対応策としては、以下のようなものがあることを一応認めることができる。

ア 交通関係

本件場外車券売場への自動車での来場は禁止し、違反があった場合には会員資格が剥奪(除名処分)される旨を会員規則に明記する。そして、これに実効性を持たせるため、会員募集時に車両の所有の有無等について車検証の写しを添付させて申告させた上、本件場外車券売場の営業日には警備員が本件建物付近を巡回して違法駐車車両をチェックする態勢をとる。また、本件建物付近の要所にはカラーコーンを配置して駐車できないようにするとともに、警備員が、車を駐車しないように適宜誘導する。

なお、本件建物地下には、行政的な規制の関係から二二台分の駐車場を設置することが予定されているが、来場車用のものではない。(甲七、乙五二の1、2、六二、六四、七八、七九、八五、九〇)

イ 風紀、衛生関係

一般に、競輪場外車券売場の建物内部及び周辺路上における警備及び清掃に関しては、競輪開催日には競輪施行者(市町村等の地方公共団体)が費用を負担して行うが、このうち当該建物外の警備及び建物内外の清掃の実施については設置者側にその実施が委託されるのが通例である(建物内の警備のみ施行者側の臨時従業員が行う)。本件場外車券売場に関しては、債務者株式会社サテライトジャパンが、建物内外の清掃員として合わせて一七名程度(うち九名は建物外部担当)を、警備員として四〇数名(違法駐車チェック要員一一名、建物内及び周辺担当の警備員三〇数名)をそれぞれ配置してあたらせる予定である。加えて、警備対策として、所轄の愛宕警察署と緊密な連絡を取るほか、建物内部に警察官用の予備室を設ける(現在、警察当局に対し警察官の常駐を要請している)とともに、監視カメラの設置等を行い、犯罪等の防止につとめる。

(甲七、乙四六、六三、七八、七九、八六)

(2) 右認定の債務者株式会社サテライトジャパンの対応策は、もとより債権者らの主張するような状況が発生するおそれを完全に払拭できるような内容ということはできない(たとえば、交通関係についていえば、自動車で来場した場合も近隣の駐車場を利用して適法な駐車をすることができることはもちろんであるし、風紀、衛生関係についても、あらゆる種類の犯罪の発生を完全に防止することは事実上不可能であろう。また、債務者株式会社サテライトジャパンは勤務先や年収額等を申告させるなどして良質の会員を確保する旨主張するが、このような方法による会員の質の確保には一定の限界があろう)。しかしながら、前記認定の会員制を採用した上で採られるこれらの措置は、いずれも相当の具体性を持ったものであって、交通関係、風紀、衛生関係のいずれについても、相当程度の効果をもたらしうるものと一応認めることができるし、これらの対応策の実施可能性を疑わせるような特段の事情の疎明もない。

(三) 本件建物へアクセスするための交通手段

本件建物建設予定地は、ジェイアール東海道本線、同山手線及び同京浜東北線の乗合駅である新橋駅(同駅には、さらに地下鉄営団銀座線及び同都営浅草線並びに東京臨海新交通線も乗り入れている)西口前の広場に面した土地の一角に位置していることが一応認められる。

(甲二〇、乙七八)

2 右1で認定した各事実に基づき、債権者ら本件建物周辺居住者の被害の内容及び程度について、債権者らの主張に則して検討する。

(一)  生活環境の悪化、破壊について

ア  交通関係

まず、交通関係についてみると、確かに、場外車券売場が設置される場合、その予想される来場者数が不確定であり、かつ、同所への交通アクセス手段が自動車以外にないかあるいは自動車以外の手段が著しく不便であるといった事情があれば、有効な対応策が講じられない限り、多数の者が自動車で来場してくる可能性は否定できない。このような可能性が高い場合、債権者らが主張するように、付近住民にとって耐え難い交通渋滞や違法駐車が生じ、さらに排気ガスや騒音の著しい増加、救急車等の通行阻害や交通事故の明確な増加がもたらされ、これらによって、付近住民の日常生活に甚大な被害を生じさせることもありうるであろう。

しかしながら、本件場外車券売場については、右1でみたとおり、そもそも一日あたりの延べ来場者数は約二五〇〇人程度(前記のようなキャンセル待ち等の来場者を含めてもこれを若干上回る程度)に限られると考えられる上に、債務者株式会社サテライトジャパンにおいても自動車での来場を防ぐための具体的な対策を立てており、これによる効果も相当程度に期待できるといえる。しかも、本件場外車券売場の周囲には前記認定のとおり種々の鉄道、地下鉄が網羅的に存在するのであり、容易に利用可能なこれらの交通機関を利用せず、あえて駐車の困難な、そして違法駐車が除名の理由になりうる自動車による来場に固執する会員が多数出現するとは考えにくい。これらの事情を考慮すると、本件建物の建設、本件場外車券売場の設置運営により、付近住民の日常生活に対して耐え難い悪影響を及ぼすような交通関係の環境悪化が生じると認めることは困難である。合理的予測として考えられるのは、近隣の駐車場を利用する者等によってもたらされる交通量の多少の増加に伴う交通渋滞であるが、これについては、後記認定のとおり本件建物周囲は元々交通量の大きい地域であるところから、その有意な識別は実際上困難であろう(もっとも、違法駐車の規制の実効性については、前記認定のとおり債務者サテライトジャパンの意思にかかっている)。

イ  風紀、衛生関係

次に、風紀、衛生関係についてみても、ギャンブルという競輪の本質的な性格を考慮すると、債権者らか主張するような来場者の徘徊、ゴミの散乱、ノミ行為の発生等により風紀や衛生が害される可能性は、一般論としては否定し難いであろう。しかし、本件場外車券売場に関しては、交通関係について述べたことと同様の事情(来場者数の規制と債務者株式会社サテライトジャパンによる一応の対応策)が存在するのであり、このことに、本件場外車券売場に近接した場所にあり、かつ、来場者数について何らの限定もなく、入場者数が前記認定の本件場外車券売場の予定来場者数を上回り、施設の総床面積は本件建物よりはるかに小さい場外馬券売場であるウインズ新橋の周辺地域においても、右のような風紀、衛生関係での著しい環境悪化が存在するとはいい難い状況にあることを考えあわせると、付近住民の日常生活に対して耐え難い悪影響を及ぼすような風紀、衛生面での環境悪化が生じると認めることは難しいといわざるをえない。 (乙五三、五六、五七、八〇の1、八七の1、2、八八)

結局、本件疎明によって認められるこうした面での環境悪化の可能性は、抽象的、一般的な不安感のレベルにとどまるとまではいえないとしても、少なくとも付近住民の日常生活に著しい影響を与えるようなものとは見難い(債権者らは、具体的、客観的な切迫した危険の疎明に成功していない)といわざるをえない。

(二)  教育環境の悪化、破壊について

本件場外車券売場の周辺に教育施設が複数存在し、あるいは債権者らの一部の者のように付近住民には未成年の児童、生徒がかなりの数存在することは疎明上明らかであるが、これらの児童、生徒自身が本件場外車券売場に入場することができないことは前記認定の会員制からほぼ明らかである(学生生徒及び未成年者は車券を購入し、又は譲り受けてはならないとする自転車競技法七条の二参照)し、生活環境の面において、本件建物の周辺で債権者らが主張するような内容及び程度の環境悪化が生じるものと認めることは前記のとおり困難であるから、これを前提とする教育環境の破壊に関しても同様に解さざるをえない(児童、生徒についてはより生活環境の悪化の影響を受けやすいことは考慮すべきであるが、本件においては、これを考慮したとしても、未成年者の成育に対して具体的かつ切迫した悪影響を及ぼすような生活面での環境悪化が生じると認めることは難しい)。

三  その他の諸事情について

次に、本件場外車券売場の設置運営の公共性等、本件における受忍限度を考える際の要素となるその他の諸事情について検討する。

1  一般に、競輪の場外車券売場は暴力団等のノミ行為の防止や競輪場における混雑の緩和等をも設置目的としていて、その収益金の一部(本件場外車券売場に関しては一パーセントが予定されている)は地元に還元されるなどの事情も一応認められる(もっとも、右の還元が適正に行われないと、かえって地域コミュニティの融和を欠くような事態が生じかねないことは留意されなければならない。)。また、競輪が大衆レジャーとしての側面を備えつつあるという債務者らの主張についても、会員制をとり環境悪化防止のために万全を尽くした場外車券売場であれば犯罪の温床となるようなことはなく、債権者らのいうように場外車券売場に来場する人間がすなわち公共的マナーを欠く人間であるといった事情にはない、といった意味合いであればこれを肯定することができよう。しかし、本件場外車券売場の建設、設置運営が結局は債務者らの利益、営利のためのものであり、そこで行われる競輪に対する投票行為も本質的にはギャンブルに過ぎないものであることは明白である(そして、ギャンブルの実施が、たとえばギャンブル依存症といった社会的、精神的病理を生み出す事実は、大きな視野からみるならば、否定し難いことである。甲七三の1ないし10、八三)から、本件場外車券売場の建設、設置運営の公共性は非常に低いといわなければならない。そして、現に付近住民(債権者らの一部の者らも含まれる)らによって本件場外車券売場の建設に反対する団体が組織されるなど本件建物建設予定地の近隣で本件場外車券売場の設置に対して強い反対の意思を表明している者も少なくなく、過去には、近接した場所で設置等が計画された競艇の場外舟券売場が付近住民らの反対運動もあって断念されるに至っているという事情も、後に述べる本件場外車券売場の設置許可にまつわる問題点を含め、受忍限度を考えるにあたってその程度を低下させる方向に働く事実といえる。

(甲五の2、一〇の1ないし13、一一、一三、一九、三四、三八から四〇まで、四一の1、2、四二から六二まで、六八、七〇の1ないし5、八〇から八二まで、八五、八六、八八、八九の1、2、九七、乙四三、四四、七八)

2  本件建物建設予定地周辺の地域性についてみると、本件建物建設予定地の一帯は都市計画法上の商業地域に指定されていて、いわゆる繁華街及びオフィス街を形成しており、人通りも多く、昼夜を問わずにぎわった状態にあり、また、本件建物建設予定地は、外堀通りに面しているほか、日比谷通りからも近い位置にあり、平素から交通量の激しい地域であることが一応認められる。既に住環境の相当程度悪化している地域においてこれ以上の悪化は困るという債権者らの心情は理解できないではないものの、地域性の問題としてみる限り、たとえば住居専用地域等に比べれば、商業地域(ことに、商業地域としての実質を備えている商業地域)が遊興等のための施設の建設の予測可能性、親和性のより高い地域であることは否定できず(もっとも、本件建物建設予定地は、商業地域といっても風俗産業中心の地域ではないのであるから、場外車券売場が設置運営される場合にも、周辺の環境に対する影響が十分考慮されるべきことは当然であり、債務者らの前記のような主張もこのことを当然の前提としていると解される)、そうすると、右のような本件建物建設予定地の地域性が本件受忍限度を低める事情になるということは困難である。

(甲一四、二〇、三二、九二、乙二三)

3  最後に、債権者らは、通産大臣がした本件場外車券売場の設置許可が違法である旨を主張する(この点の当否については現在行政訴訟が係属中である)ので、この点について検討する。この点については、乙七八号証により一応認められる事実に前記二の認定事実をあわせて考えると、設置許可基準との適合性については一応満足されているものということができないではない(駐車場を設置しない点についても、前記のように本件場外車券売場が会員制のシステムをとっていること、同場外車券売場の立地条件及び違法駐車対応策にかんがみれば、適合性を欠くとはいえないであろう)。しかしながら、その許可申請に際しての地域社会との調整についてみると、債務者らによって行われた地元町内会からの本件場外車券売場設置についての同意取得の方法には地域的なかたよりがあることが否定できず、このことに、前記のとおり本件場外車券売場建設については現実にはこれに反対する周辺住民らが少なくなかったことを考えあわせると、右の調整が十分に行われたといいうるか否か(乙二参照)につき一定の疑念が残ることは否めない。そして、右のような設置許可にまつわる問題点は、本件の受忍限度を判断するにあたって考慮すべき一つの事情(受忍限度を低める事情)となりうると考えられる。もっとも、本件仮処分の申立てについては、前記のとおり、あくまで人格権の侵害の有無という観点から判断すべきものであり、そのような観点から考える限り、設置許可にまつわる諸事情については、本件申立ての当否の判断に第一次的な影響を与えるような重要な要素ということはできない。あくまで受忍限度判断のための一事情にとどまるというべきである。そうすると、設置許可処分が無効であることが明白であるような事案であればともかくとして、本件のように、その申請や許可に関して、法的にはともかく、社会的な見地から見ていささか問題となりうるような点が存在するという程度では、受忍限度の判断にあたって、これをそれほど大きく評価することは困難であるといわなければならない。

四 総合的考察

ここで、右二で認定した債権者らの被害の内容及び程度に右三で認定した諸事情を総合し、右の被害が受忍限度を超えるものかどうかについて考察することとする。

そうすると、前記認定のとおり、本件においては、疎明上認められる債権者らの被害の内容及び程度については、債権者らが主張するように具体的かつ切迫した程度に至っていると認めることは困難である。このことに、前記認定の本件建物建設予定地の地域性をも考慮すると、本件場外車券売場の公共性が低いことや建設反対の意思を有する周辺住民らが少なくないこと、本件場外車券売場の設置許可申請、同許可にはこれにまつわる前記のような問題点が存すること等の債権者らに有利な事情を勘案しても、なお、右被害が受忍限度を超えるような人格権の侵害を債権者らにもたらすと評価することは困難であるといわざるをえない。本来人格権はその享有者個々人ごとに個別のものであるが、本件においては、既に述べたところから明らかなように、本件債権者ら個々人について本件場外車券売場と住居等との位置関係、各人の年齢、職業等の個別事情を検討するまでもなく(なお、債権者らはこのような個別的疎明は一部の者についてしか行っていない)、右のように判断することができる。

第四  結論

以上によれば、本件被保全権利発生の前提となる債権者らの主張は、理由がなく、あるいはその疎明がないことになる。よって、主文のとおり判断する。(なお、最後に本件の審尋中の和解の経緯について一言する。本件場外車券売場の設置運営がもたらす周囲の環境への影響は、前記のとおり、施設開場後の来場者数、債務者株式会社サテライトジャパンの対応策の実効性等の事情と深い関係があるものと考えられる。債務者株式会社サテライトジャパンは、現時点においては、前記認定のとおり一日当たりの予約人数の規制や諸種の対応策の実施を言明しているところであり、この点は債権者らの被害の内容及び程度の認定、ひいては本件の争点に対する判断に少なからず影響したものであるが、右のような事項が現実に将来においてどれだけ確実に実施されるかについては、事柄の性質上、現時点においてはこれの完全な実施が絶対確実であるとまでの予測を行うことは難しいといわざるをえない。当裁判所は、債権者らが抱く不安感、危惧感については住民の感情としてよく理解できるものである――周辺住民が本件のような施設に対して抱く拒絶の感情は、大都会の繁華街近辺に居住する者であっても、大都市近郊、あるいは地方都市の住宅街に居住する者であっても異なるものではないであろう。――ことから、来場者数等を一定限度に限定し、これに法的な実効性を与える形での和解を当事者双方に対して勧めた。そして、債務者らにおいてはこれについて前向きに検討したい旨の意向があり、その人数も相当程度具体的に示された。しかし、具体的調整に入る以前の段階で債権者らにおいてこのような方向の和解を拒絶したため、そのための話合いを打ち切ったものである。この事情は本件の判断とは何ら関係のないことであるが、本件紛争について将来的には何らかの和解の余地が全くないではないと考えられるため、念のため一応付言しておくものである)。

(裁判長裁判官瀬木比呂志 裁判官若林弘樹 裁判官江原健志)

別紙物件目録<省略>

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